2010年2月26日(金)高知新聞夕刊 感動!伝統の初凧
大月発 くろしお便り(黒潮実感センター)

いち、にの、さんで凧を揚げる。緊張の一瞬!(松本強さん提供)
感動!伝統の初凧
「しっかり持っちょけ」。「釣り合いはええか」。「ええか、揚げるぞ」。「いち、に、の、さん、それ!」
柏島名物の強い西の風を受け、ものすごい勢いで大凧が揚がっていく。柏島で揚げる伝統の凧、三つ輪凧だ。三つの輪っかで構成されるのでそう呼ばれる。どこかミッキーマウスのようで可愛い。
凧の下には長い竹の尾、さらにその下の細いロープには房と呼ばれる凧を安定させるための重しが6つ、その下には二ヒロ(約3.2メートル)間隔に結わえ付けられた色とりどりのタオルが十数枚。凧の全長は頭の先から尾の先まで合わすと60メートルにも及ぶ。尾っぽの最後になるタオルが地面から離れるのを見届け、みんなで万歳をした。うれしくて、涙が出た。
たくさんのタオルを付けた長い尾をたなびかせながら舞い上がる凧。
タオルの奪い合い
柏島では長男が生まれると1月28日に凧を揚げる風習がある。長男のみ、次男なし、女の子もなし。そのお祝いにと島の親類縁者やご近所さんらがタオルを持ってきてくれる。これを結わえ付け揚げるのだ。
しばらく凧を揚げたあとゆっくり下ろしてくると島の人が浜に集まり、尾っぽの先が地面に付くと我先にとタオルのばいやいが始まる。福のお裾分けと言ったところか。その間、凧は完全には下ろさず、途中で留め新しいタオルの付いた尾と付け替えまた揚げる。この繰り返しで、頂いたタオルが無くなるまで一日何度も、何日も揚げる。
今年生まれたのは私の長男、拓海だけ。柏島に移り住んで一二年目。これまで何回かの凧揚げを見てきて、男の子が生まれたら必ずやるぞと心に決めていた。その夢がやっと叶った。
柏島保育園の園児達もタオル取りに参加。(清家敬太郎さん提供)
名人と一緒に制作
島一番の大きな凧を揚げてやりたいと思い、凧を作ってくれる島の人を探した。凧づくりの名人と呼ばれる方にお願いに行ったが、もう歳で身体が思うように動かないので無理と断られた。何とか作って欲しいとの思いで、島の人に相談すると「わしも手伝うちゃるけん頼んじゃる」と大堀の靖さんが言ってくれた。そのお陰で、私も含め若い衆が手伝うのならやってみようかと引き受けてくれたのが、凧づくりの名人、垣内のおんちゃんだ。数年前に病気を患い手足の動きが悪くなり、話もしづらそうだった。
おんちゃんはほぼ毎日もくもくと作業をしてくれた。島の人も手伝いに来てくれ、次第に凧の輪郭が見えてきた。私の竹の割りようが悪かったせいもあり、幅もまちまち、どこかゆがんでいるような竹ひごで骨組みを作った。これじゃあ中心がでていないと思い、左右のバランスが悪いのでやり直しかと思ったら、「これでええ」とおんちゃんは言う。どう見てもおかしいと思いながらも名人の言うとおりにお手伝いをした。
垣内のおんちゃんの指示で凧の骨組みを作る。
骨組みの上に和紙を貼り、その上に我が家の家紋と子供の名前を墨で入れた。これは父親である私の仕事だ。その後凧を弓状に反らせるためのそり糸を結ぶ。その際和紙で作った「ぶんぶん」を取り付ける。凧が揚がると風で和紙が振動して「ぶんぶん」とうなり声をあげる。このため三つ輪凧のことをぶんぶん凧とも呼ぶ。
最後は最も難しいとされる凧の釣り合いを取る作業だ。15本の糸で釣り合いをとる。このバランスで凧がまっすぐ揚がるかどうかが決まる。中心がでていない凧に不安を覚えつつも、いよいよ凧揚げ初日を迎えた。
大黒山より高く
緊張の第一回目、凧は私の不安を一瞬で吹き飛ばし、まっすぐに安定して上昇していった。バランス抜群。さすがは名人である。
ただ第一回目はあまりの強風とこれまでの島の凧に比べ、けた違いに大きかった(縦3mx横1.8m)ため、耳の部分の骨が風に耐えられずに曲がり、耳をたたんだ状態になった。
垣内のおんちゃんの指示ですぐにおろし、別の竹ひごを取り付けあっという間に補強した。この作業は手伝いに来てくれた多くの島の人が見事なチームプレーで行ってくれた。
大風が吹く中、手伝いに来てくれた方にはタオルを渡し、首に巻いてもらい、酒やビールを飲みながらみんな笑顔でにぎやかな凧揚げを楽しんだ。私自身こんなうれしい笑顔になれたのは何年ぶりだろうか。こんな機会を与えてくれた我が子とおんちゃん、島の人たちに感謝した。
凧糸(ロープ)を子どもに握らせると、その子が健康で丈夫に育つといわれているので、親子三人でロープを引いた。酒の勢いもありもっと延ばせ、もっと延ばせと300mもあったロープを全部延ばしきった。対岸から見ると柏島最高峰大黒山(144m)よりも高く上がっていた。
揚げるのは簡単だが下ろすのは大変である。軍手履きの手で引っ張っても大人5〜6人がかりでひーひー言いながら下ろした。翌日全身が筋肉痛になったが、心地よかった。
子どもに凧のロープを握らせ、健やかに育ってくれることを祈る。
文化を受け継ぐ
大月町や宿毛市でも三つ輪凧を揚げるが、柏島以外ではタオルなどは付けない。最後に凧の糸を切って飛ばし、飛んでいった凧を見つかるまで探しに行く風習がある。
いくつもの山を越えて飛んでいった凧を回収するのに、何日もかかったこともあるそうだ。中には凧に自宅の電話番号を入れ、拾ったら連絡してくれと言う人もいたそうだ。柏島も含めどの地域もその凧は天井裏等にしまって大切に保管されている。
私は高知市の生まれ、妻は島根県、ともに島の人からすれば「よそもの」だが、ここで生まれた息子は島の子になる。我が子の誕生を多くの島の方々が祝福してくれたことが何よりうれしかった。
これほどの感動を与えてくれた凧揚げだが、凧を作る技術を持つ人がほとんどいなくなっている。おんちゃんに習いながら何とかこの文化を受け継ぎ、次に伝えていきたいと強く思った。毎年いくつもの凧が柏島の空に舞い上がるようなそんな島にしていきたい。
(センター長・神田 優)

いち、にの、さんで凧を揚げる。緊張の一瞬!(松本強さん提供)
感動!伝統の初凧
「しっかり持っちょけ」。「釣り合いはええか」。「ええか、揚げるぞ」。「いち、に、の、さん、それ!」
柏島名物の強い西の風を受け、ものすごい勢いで大凧が揚がっていく。柏島で揚げる伝統の凧、三つ輪凧だ。三つの輪っかで構成されるのでそう呼ばれる。どこかミッキーマウスのようで可愛い。
凧の下には長い竹の尾、さらにその下の細いロープには房と呼ばれる凧を安定させるための重しが6つ、その下には二ヒロ(約3.2メートル)間隔に結わえ付けられた色とりどりのタオルが十数枚。凧の全長は頭の先から尾の先まで合わすと60メートルにも及ぶ。尾っぽの最後になるタオルが地面から離れるのを見届け、みんなで万歳をした。うれしくて、涙が出た。

たくさんのタオルを付けた長い尾をたなびかせながら舞い上がる凧。
タオルの奪い合い
柏島では長男が生まれると1月28日に凧を揚げる風習がある。長男のみ、次男なし、女の子もなし。そのお祝いにと島の親類縁者やご近所さんらがタオルを持ってきてくれる。これを結わえ付け揚げるのだ。
しばらく凧を揚げたあとゆっくり下ろしてくると島の人が浜に集まり、尾っぽの先が地面に付くと我先にとタオルのばいやいが始まる。福のお裾分けと言ったところか。その間、凧は完全には下ろさず、途中で留め新しいタオルの付いた尾と付け替えまた揚げる。この繰り返しで、頂いたタオルが無くなるまで一日何度も、何日も揚げる。
今年生まれたのは私の長男、拓海だけ。柏島に移り住んで一二年目。これまで何回かの凧揚げを見てきて、男の子が生まれたら必ずやるぞと心に決めていた。その夢がやっと叶った。

柏島保育園の園児達もタオル取りに参加。(清家敬太郎さん提供)
名人と一緒に制作
島一番の大きな凧を揚げてやりたいと思い、凧を作ってくれる島の人を探した。凧づくりの名人と呼ばれる方にお願いに行ったが、もう歳で身体が思うように動かないので無理と断られた。何とか作って欲しいとの思いで、島の人に相談すると「わしも手伝うちゃるけん頼んじゃる」と大堀の靖さんが言ってくれた。そのお陰で、私も含め若い衆が手伝うのならやってみようかと引き受けてくれたのが、凧づくりの名人、垣内のおんちゃんだ。数年前に病気を患い手足の動きが悪くなり、話もしづらそうだった。
おんちゃんはほぼ毎日もくもくと作業をしてくれた。島の人も手伝いに来てくれ、次第に凧の輪郭が見えてきた。私の竹の割りようが悪かったせいもあり、幅もまちまち、どこかゆがんでいるような竹ひごで骨組みを作った。これじゃあ中心がでていないと思い、左右のバランスが悪いのでやり直しかと思ったら、「これでええ」とおんちゃんは言う。どう見てもおかしいと思いながらも名人の言うとおりにお手伝いをした。

垣内のおんちゃんの指示で凧の骨組みを作る。
骨組みの上に和紙を貼り、その上に我が家の家紋と子供の名前を墨で入れた。これは父親である私の仕事だ。その後凧を弓状に反らせるためのそり糸を結ぶ。その際和紙で作った「ぶんぶん」を取り付ける。凧が揚がると風で和紙が振動して「ぶんぶん」とうなり声をあげる。このため三つ輪凧のことをぶんぶん凧とも呼ぶ。
最後は最も難しいとされる凧の釣り合いを取る作業だ。15本の糸で釣り合いをとる。このバランスで凧がまっすぐ揚がるかどうかが決まる。中心がでていない凧に不安を覚えつつも、いよいよ凧揚げ初日を迎えた。
大黒山より高く
緊張の第一回目、凧は私の不安を一瞬で吹き飛ばし、まっすぐに安定して上昇していった。バランス抜群。さすがは名人である。
ただ第一回目はあまりの強風とこれまでの島の凧に比べ、けた違いに大きかった(縦3mx横1.8m)ため、耳の部分の骨が風に耐えられずに曲がり、耳をたたんだ状態になった。
垣内のおんちゃんの指示ですぐにおろし、別の竹ひごを取り付けあっという間に補強した。この作業は手伝いに来てくれた多くの島の人が見事なチームプレーで行ってくれた。
大風が吹く中、手伝いに来てくれた方にはタオルを渡し、首に巻いてもらい、酒やビールを飲みながらみんな笑顔でにぎやかな凧揚げを楽しんだ。私自身こんなうれしい笑顔になれたのは何年ぶりだろうか。こんな機会を与えてくれた我が子とおんちゃん、島の人たちに感謝した。
凧糸(ロープ)を子どもに握らせると、その子が健康で丈夫に育つといわれているので、親子三人でロープを引いた。酒の勢いもありもっと延ばせ、もっと延ばせと300mもあったロープを全部延ばしきった。対岸から見ると柏島最高峰大黒山(144m)よりも高く上がっていた。
揚げるのは簡単だが下ろすのは大変である。軍手履きの手で引っ張っても大人5〜6人がかりでひーひー言いながら下ろした。翌日全身が筋肉痛になったが、心地よかった。

子どもに凧のロープを握らせ、健やかに育ってくれることを祈る。
文化を受け継ぐ
大月町や宿毛市でも三つ輪凧を揚げるが、柏島以外ではタオルなどは付けない。最後に凧の糸を切って飛ばし、飛んでいった凧を見つかるまで探しに行く風習がある。
いくつもの山を越えて飛んでいった凧を回収するのに、何日もかかったこともあるそうだ。中には凧に自宅の電話番号を入れ、拾ったら連絡してくれと言う人もいたそうだ。柏島も含めどの地域もその凧は天井裏等にしまって大切に保管されている。
私は高知市の生まれ、妻は島根県、ともに島の人からすれば「よそもの」だが、ここで生まれた息子は島の子になる。我が子の誕生を多くの島の方々が祝福してくれたことが何よりうれしかった。
これほどの感動を与えてくれた凧揚げだが、凧を作る技術を持つ人がほとんどいなくなっている。おんちゃんに習いながら何とかこの文化を受け継ぎ、次に伝えていきたいと強く思った。毎年いくつもの凧が柏島の空に舞い上がるようなそんな島にしていきたい。
(センター長・神田 優)
更新:
きのこ
/2010年 03月 01日 15時 41分