2010年11月26日(金)高知新聞夕刊 空に銀色 御畳瀬の干物
大月発くろしお便り(黒潮実感センター)

日差しを受け並べて干されるオキウルメ(写真はいずれも高知市御畳瀬)
高知市長浜の実家に帰った際、久しぶりに御畳瀬に寄ってみた。天気が良かったので車の窓を開けながら梶ヶ浦の渡し場を抜け、海沿いを走ってくると「ぷーん」と魚の匂いが漂ってきた。あー、御畳瀬に入ったなとわかる。
懐かしい漁師町の匂い
砂浜や磯、藻場、サンゴの海、魚が水揚げされる漁港、貨物船が停泊する港。海にはその海特有の匂いがある。その匂いをかぐと、頭の中にその海の情景が浮かんでくる。けっしていい匂いとは言い難いが、私にとって御畳瀬の港に漂う魚臭い匂いは、幼少期ここで毎日のように釣りをし、大学時代早朝から市場に揚がる魚を見に行っていた頃を思い出す、何とも懐かしい匂いだ。
堤防を越え海側に行くと、今も昔と変わらず港には木船がつながれていた。だが船と船の間が歯抜けのように空いている。私が子供の頃はもっと船と船がぎちぎちだった。ここも高齢化が進み後継者不足が深刻化しているようだ。
海沿いから一つ路地を入ると、狭い路地に家々がひしめき合うように並んで立っている。山が海のすぐそばまで迫っていて、平地が少ない御畳瀬ならではの風景だ。
蒲原先生のこと
私の叔母家族が御畳瀬に住んでいることもあり、子供の頃からよく釣りに来ていた。その時叔母からはよく、高知大学の先生が叔母の家に泊まりながら魚の調査に来ていたことを聞かされた。現高知大学理学部海洋生物学研究室の初代教授である故・蒲原稔治博士だった。幼い頃から漠然と生物学者になろうと決心していた私が、魚類学者になろうとした背景には、この様な想い出があったのかもしれない。
蒲原先生は土佐湾深海域の底生性魚類について、御畳瀬の魚市場に水揚げされる沖合底曳き漁(大手繰り網)の漁獲物から標本を採集し、多くの新種を記載した。この御畳瀬の魚市場での採集の伝統は現在も海洋生物学研究室で受け継がれ、大手繰り網漁の行われる9月から4月半ばまでの間に学生がよく出掛けている。私は理学部の学生ではなく農学部の栽培漁業学科に所属していたが、学生時代よく魚を見に行っていた。
3時20分から競り
御畳瀬の競りは朝早い。3時20分に大手繰り網漁で獲れた魚の競りが始まる。まだ真っ暗な中、市場の灯りだけが煌々と光り、仲買人が次々と魚を競り落としていく。
学生時代に行ったとき、競り人のあまりの早口に当初聞き取ることができなかった。しかし何度も通い耳を慣らすとやっとわかりだした。なぜそんなことを聞きたかったというと、仲買人から欲しい魚を買う際に、いくらで落ちたのか知りたかったからである。

海沿いの道ばたに干される干物たち
競りが終わると御畳瀬の干物屋さんは魚を店に持ち帰り、早速干物づくりに取りかかる。オキウルメは丸干し。メヒカリは頭とはらわたを落として塩干し。フカは三枚に下ろしたあと、身を薄くさらに開いていてみりん干しにする。店の前には数人のおばちゃんらが木箱の上に腰掛けながら、トロ箱から魚をどんどん処理していく。店には使い込んでよく研がれた小さな小出刃がいくつも掛けられていた。

よく使い込まれた小出刃が並ぶ
季節によりさまざま
夜が明け、日が差す頃には、立てたトロ箱に斜めに立てかけた網の上に、オキウルメやメヒカリ、イカやフカが並べられて天日干しされる。

飴色に光るフカのみりん干し
ここで作られる干物は、季節によっても様々だ。深海から獲ってくるオキウルメ(ニギス)やメヒカリ(アオメエソ)は定番だが、ヤケド(ハダカイワシ)は最近ではなかなか獲れなくなった。
ヤケドとはあまり美味しそうな名前ではないが、深海から網で獲られる際に柔らかい鱗はすぐに剥がれ、船上に揚がってくる頃には皮膚がむき出しでヤケドをしたように見えることからこの名前が付いた。腹側に発光器をもち、黒いいかつい顔からはとても美味しそうに見えないのだが、焼いて食べると絶品である。しかし食べ過ぎると筋肉中にワックスを含んでいるので下痢をする。
その他比較的浅い海で行われる小手繰り網漁(水深数十メートルで操業)ではヒメイチ(ヒメジ)やオキニロギ(オキヒイラギ)が定番だ。竹に刺して干しているベタ(ガンゾウビラメ)は今はほとんど見なくなった。軽くあぶって頭を取り、身をクシャクシャッともむと背骨の上の身と下の身が簡単にわかれ、それをマヨネーズに醤油を少し垂らしたところに付けて食べるのが好きだった。正月前にはベタを刺した竹を何本も買って帰る人を目にしたものだ。
この風景をいつまでも
昼過ぎになると干物を買い求めに店の前に車が止まり、お客さんがやってくる。「メヒカリちょうだい」。「どればあ」。「500円ばあ、それとオキウルメもすっこしもらおうかねぇ」。店の前には秤が置かれ、グラムいくらで買っていく。できだちの干物を品定めしながら、食べたいもんを好きなばあ分けてもらう。こののんびりした風景が今も変わらず御畳瀬にあるのを見て何だかホットした。

露天で干物の横に置かれた秤
漁師の高齢化が進み漁をやめる人、魚が獲れなくなり採算が合わずに廃業する船が増えている中、いつまでもこの干物がある風景が失われないように願うばかりである。

大手繰り船 発泡スチロールではなく木製のトロ箱が山積みされていた
(センター長・神田 優)
日差しを受け並べて干されるオキウルメ(写真はいずれも高知市御畳瀬)
高知市長浜の実家に帰った際、久しぶりに御畳瀬に寄ってみた。天気が良かったので車の窓を開けながら梶ヶ浦の渡し場を抜け、海沿いを走ってくると「ぷーん」と魚の匂いが漂ってきた。あー、御畳瀬に入ったなとわかる。
懐かしい漁師町の匂い
砂浜や磯、藻場、サンゴの海、魚が水揚げされる漁港、貨物船が停泊する港。海にはその海特有の匂いがある。その匂いをかぐと、頭の中にその海の情景が浮かんでくる。けっしていい匂いとは言い難いが、私にとって御畳瀬の港に漂う魚臭い匂いは、幼少期ここで毎日のように釣りをし、大学時代早朝から市場に揚がる魚を見に行っていた頃を思い出す、何とも懐かしい匂いだ。
堤防を越え海側に行くと、今も昔と変わらず港には木船がつながれていた。だが船と船の間が歯抜けのように空いている。私が子供の頃はもっと船と船がぎちぎちだった。ここも高齢化が進み後継者不足が深刻化しているようだ。
海沿いから一つ路地を入ると、狭い路地に家々がひしめき合うように並んで立っている。山が海のすぐそばまで迫っていて、平地が少ない御畳瀬ならではの風景だ。
蒲原先生のこと
私の叔母家族が御畳瀬に住んでいることもあり、子供の頃からよく釣りに来ていた。その時叔母からはよく、高知大学の先生が叔母の家に泊まりながら魚の調査に来ていたことを聞かされた。現高知大学理学部海洋生物学研究室の初代教授である故・蒲原稔治博士だった。幼い頃から漠然と生物学者になろうと決心していた私が、魚類学者になろうとした背景には、この様な想い出があったのかもしれない。
蒲原先生は土佐湾深海域の底生性魚類について、御畳瀬の魚市場に水揚げされる沖合底曳き漁(大手繰り網)の漁獲物から標本を採集し、多くの新種を記載した。この御畳瀬の魚市場での採集の伝統は現在も海洋生物学研究室で受け継がれ、大手繰り網漁の行われる9月から4月半ばまでの間に学生がよく出掛けている。私は理学部の学生ではなく農学部の栽培漁業学科に所属していたが、学生時代よく魚を見に行っていた。
3時20分から競り
御畳瀬の競りは朝早い。3時20分に大手繰り網漁で獲れた魚の競りが始まる。まだ真っ暗な中、市場の灯りだけが煌々と光り、仲買人が次々と魚を競り落としていく。
学生時代に行ったとき、競り人のあまりの早口に当初聞き取ることができなかった。しかし何度も通い耳を慣らすとやっとわかりだした。なぜそんなことを聞きたかったというと、仲買人から欲しい魚を買う際に、いくらで落ちたのか知りたかったからである。

海沿いの道ばたに干される干物たち
競りが終わると御畳瀬の干物屋さんは魚を店に持ち帰り、早速干物づくりに取りかかる。オキウルメは丸干し。メヒカリは頭とはらわたを落として塩干し。フカは三枚に下ろしたあと、身を薄くさらに開いていてみりん干しにする。店の前には数人のおばちゃんらが木箱の上に腰掛けながら、トロ箱から魚をどんどん処理していく。店には使い込んでよく研がれた小さな小出刃がいくつも掛けられていた。

よく使い込まれた小出刃が並ぶ
季節によりさまざま
夜が明け、日が差す頃には、立てたトロ箱に斜めに立てかけた網の上に、オキウルメやメヒカリ、イカやフカが並べられて天日干しされる。

飴色に光るフカのみりん干し
ここで作られる干物は、季節によっても様々だ。深海から獲ってくるオキウルメ(ニギス)やメヒカリ(アオメエソ)は定番だが、ヤケド(ハダカイワシ)は最近ではなかなか獲れなくなった。
ヤケドとはあまり美味しそうな名前ではないが、深海から網で獲られる際に柔らかい鱗はすぐに剥がれ、船上に揚がってくる頃には皮膚がむき出しでヤケドをしたように見えることからこの名前が付いた。腹側に発光器をもち、黒いいかつい顔からはとても美味しそうに見えないのだが、焼いて食べると絶品である。しかし食べ過ぎると筋肉中にワックスを含んでいるので下痢をする。
その他比較的浅い海で行われる小手繰り網漁(水深数十メートルで操業)ではヒメイチ(ヒメジ)やオキニロギ(オキヒイラギ)が定番だ。竹に刺して干しているベタ(ガンゾウビラメ)は今はほとんど見なくなった。軽くあぶって頭を取り、身をクシャクシャッともむと背骨の上の身と下の身が簡単にわかれ、それをマヨネーズに醤油を少し垂らしたところに付けて食べるのが好きだった。正月前にはベタを刺した竹を何本も買って帰る人を目にしたものだ。
この風景をいつまでも
昼過ぎになると干物を買い求めに店の前に車が止まり、お客さんがやってくる。「メヒカリちょうだい」。「どればあ」。「500円ばあ、それとオキウルメもすっこしもらおうかねぇ」。店の前には秤が置かれ、グラムいくらで買っていく。できだちの干物を品定めしながら、食べたいもんを好きなばあ分けてもらう。こののんびりした風景が今も変わらず御畳瀬にあるのを見て何だかホットした。
露天で干物の横に置かれた秤
漁師の高齢化が進み漁をやめる人、魚が獲れなくなり採算が合わずに廃業する船が増えている中、いつまでもこの干物がある風景が失われないように願うばかりである。

大手繰り船 発泡スチロールではなく木製のトロ箱が山積みされていた
(センター長・神田 優)
投稿:
きのこ
/2010年 11月 30日 16時 58分