2011年6月11日(土) 高知新聞朝刊 黒潮源流域をさぐる旅
大月発 くろしお便り(黒潮実感センター)

まっ暗な午前3時半に出発し3時間。朝日を浴びながら六十数`先の島に向かって漕ぐ山岡先生と運天陵君 (八幡暁氏撮影。写真はいずれもフィリピン・ルソン島東岸付近)
黒潮は赤道の北側を西向きに流れる北赤道海流に起源を持ち、フィリピンの東岸にぶつかり向きを北に変え、台湾と石垣島の間を抜け、日本南岸に流れ込む。
私の大学の恩師である高知大学黒潮圏総合科学専攻の山岡耕作教授は、黒潮の源流域であるルソン島東海岸の情報を確かめたいと思い、2010年から3カ年をかけ、シーカヤックで調査する計画を立てた。きっかけはシーカヤックでフィリピンから、台湾、石垣島と単独で漕ぎ渡った冒険家、八幡暁さんとの出会いであった。
昨年の調査に続いて、今年5月10日〜26日までの約2週間、山岡先生と私、八幡さん、山岡研究室の学生の運天陵君の4人でフィリピン遠征に行ってきた。
調査の目的は、黒潮源流域のルソン島東海岸、黒潮中流域の台湾、琉球、下流の日本本土の自然および文化的変化を、そこで暮らす人びとの生活から明らかにすることである。

シーカヤック行程図
しかし私の目的はそれ以外にもあった。便利さと快適さを追求し、大量のエネルギーを消費する都市と、自然のサイクルに逆らわず自然と共に生きるへき地の暮らしを比較したとき、幸せってなんだろう?という自分自身の問いへの答えを見出すことであった。
なぜシーカヤックなのか?
そもそもなぜシーカヤックで行く必要があるのか? エンジン付きのボートで島々を手っ取り早く回ってデータをとれば良いではないかと思われるだろう。八幡さんいわく、人と海が向かい合う際、シーカヤックは最も自然の影響を受ける。天気、潮流、波浪、干満、風向、風速…、これらの自然情報の的確な理解なくして、安全な漕(そう)行(こう)は有り得ないことを実感できる。つまり海という自然が持つリスクを背負って生きることを、実感するためのツールなのだという。エンジンは自分の体だ。
また、文明社会から快適なボートでいきなりやってきて「上から目線」で「あなたたちの暮らしについて教えてください」で、見ず知らずの外国人に、すぐに心を開いてもらえるだろうか?
歩くのとほぼ同じ時速約6`のシーカヤックは、近づいてくるまで時間を要するので島民も気づきやすい。近づくにつれ、なんだなんだと島民が集まってくる。パドル一つで漕ぎながらやってきた外国人ということだけで、両者の垣根はぐっとさがる事を実感した。

浜に上陸しテント生活を送った
さまざまな島の暮らし
今回の旅ではルソン島東部のビンソンズという地点からスタートして、インファンタという町までの約280`を漕行した。その間五つの島に上陸し、聞き取り調査をし、漁にも同行した。
小さな島には電気が無く、夜は空き瓶を利用したランプで暮らしている。中には発電機で日没から数時間の間のみ電気を起こし、照明や音楽を聴くのに使っているところもあった。
電気がないので当然氷はない。漁に行っても氷無しで魚を持ち帰り、その日のうちに食べてしまう。家族を養い生きるために魚を捕り、米や野菜を作り、鶏や山羊、豚を飼う。毎日の日常がこの繰り返しである。しかし遠くの漁場まで行くためにエンジン付きの船を使う際にはガソリンが必要となり、購入するために魚を売って現金に換えなければならない。
町から遠く離れた島では、基本的に自給自足。島民同士で協力しながら暮らすのでつながりがより強固となる。私たちの社会で失われつつある人と人、人と自然のつながりがここにはあった。
しかし全ての島がそうというわけではない。電気を知らない島、文明を知りつつ古い暮らし守る島、快適を享受しサンゴを爆破して魚を捕る島など、さまざまな形態を目の当たりにした。

父親が釣ってきたサワラを誇らしげに見せる娘(八幡暁氏撮影)
笑顔の質
ヒトが社会性動物である以上暮らしは多様化していく。自然の中の小さな社会では、ヒトは生きるために必要なスキルを身につけ、一人何役もこなさねばならない。社会が大きくなると分業が生じ専門性に特化していく。しかし特化するあまり、ヒトが本来動物として身につけていた「生きる」という能力を失ってしまいもする。
どの島の暮らしが最も幸せか、今の私には答えが出せない。しかし、町から離れた小さな島で暮らすヒトと、街で暮らすヒトと、ふれあう度になにかしら感覚的な違いを感じた。うまく言えないが笑顔の質?なのかもしれない。

島には珍しく滝があり、子どもたちと天然のシャワーを浴びる八幡暁さん
大人も子どもも、辺境の地に暮らす人びとの笑顔は、明らかに私を幸せな気持ちにしてくれた。仕事やさまざまな煩わしさに追われ、笑顔を忘れがちだった私に、今回の旅は心の底から笑顔になれる機会を与えてくれた。
なんだか少し幸せになれたような気がした。そして人に対して優しく接することができそうな、そんな気持ちにさせてくれた。
山岡先生と、一緒に行った仲間たち、お世話になった現地の人びとに心から感謝したい。
(センター長・神田優)
まっ暗な午前3時半に出発し3時間。朝日を浴びながら六十数`先の島に向かって漕ぐ山岡先生と運天陵君 (八幡暁氏撮影。写真はいずれもフィリピン・ルソン島東岸付近)
黒潮は赤道の北側を西向きに流れる北赤道海流に起源を持ち、フィリピンの東岸にぶつかり向きを北に変え、台湾と石垣島の間を抜け、日本南岸に流れ込む。
私の大学の恩師である高知大学黒潮圏総合科学専攻の山岡耕作教授は、黒潮の源流域であるルソン島東海岸の情報を確かめたいと思い、2010年から3カ年をかけ、シーカヤックで調査する計画を立てた。きっかけはシーカヤックでフィリピンから、台湾、石垣島と単独で漕ぎ渡った冒険家、八幡暁さんとの出会いであった。
昨年の調査に続いて、今年5月10日〜26日までの約2週間、山岡先生と私、八幡さん、山岡研究室の学生の運天陵君の4人でフィリピン遠征に行ってきた。
調査の目的は、黒潮源流域のルソン島東海岸、黒潮中流域の台湾、琉球、下流の日本本土の自然および文化的変化を、そこで暮らす人びとの生活から明らかにすることである。

シーカヤック行程図
しかし私の目的はそれ以外にもあった。便利さと快適さを追求し、大量のエネルギーを消費する都市と、自然のサイクルに逆らわず自然と共に生きるへき地の暮らしを比較したとき、幸せってなんだろう?という自分自身の問いへの答えを見出すことであった。
なぜシーカヤックなのか?
そもそもなぜシーカヤックで行く必要があるのか? エンジン付きのボートで島々を手っ取り早く回ってデータをとれば良いではないかと思われるだろう。八幡さんいわく、人と海が向かい合う際、シーカヤックは最も自然の影響を受ける。天気、潮流、波浪、干満、風向、風速…、これらの自然情報の的確な理解なくして、安全な漕(そう)行(こう)は有り得ないことを実感できる。つまり海という自然が持つリスクを背負って生きることを、実感するためのツールなのだという。エンジンは自分の体だ。
また、文明社会から快適なボートでいきなりやってきて「上から目線」で「あなたたちの暮らしについて教えてください」で、見ず知らずの外国人に、すぐに心を開いてもらえるだろうか?
歩くのとほぼ同じ時速約6`のシーカヤックは、近づいてくるまで時間を要するので島民も気づきやすい。近づくにつれ、なんだなんだと島民が集まってくる。パドル一つで漕ぎながらやってきた外国人ということだけで、両者の垣根はぐっとさがる事を実感した。
浜に上陸しテント生活を送った
さまざまな島の暮らし
今回の旅ではルソン島東部のビンソンズという地点からスタートして、インファンタという町までの約280`を漕行した。その間五つの島に上陸し、聞き取り調査をし、漁にも同行した。
小さな島には電気が無く、夜は空き瓶を利用したランプで暮らしている。中には発電機で日没から数時間の間のみ電気を起こし、照明や音楽を聴くのに使っているところもあった。
電気がないので当然氷はない。漁に行っても氷無しで魚を持ち帰り、その日のうちに食べてしまう。家族を養い生きるために魚を捕り、米や野菜を作り、鶏や山羊、豚を飼う。毎日の日常がこの繰り返しである。しかし遠くの漁場まで行くためにエンジン付きの船を使う際にはガソリンが必要となり、購入するために魚を売って現金に換えなければならない。
町から遠く離れた島では、基本的に自給自足。島民同士で協力しながら暮らすのでつながりがより強固となる。私たちの社会で失われつつある人と人、人と自然のつながりがここにはあった。
しかし全ての島がそうというわけではない。電気を知らない島、文明を知りつつ古い暮らし守る島、快適を享受しサンゴを爆破して魚を捕る島など、さまざまな形態を目の当たりにした。
父親が釣ってきたサワラを誇らしげに見せる娘(八幡暁氏撮影)
笑顔の質
ヒトが社会性動物である以上暮らしは多様化していく。自然の中の小さな社会では、ヒトは生きるために必要なスキルを身につけ、一人何役もこなさねばならない。社会が大きくなると分業が生じ専門性に特化していく。しかし特化するあまり、ヒトが本来動物として身につけていた「生きる」という能力を失ってしまいもする。
どの島の暮らしが最も幸せか、今の私には答えが出せない。しかし、町から離れた小さな島で暮らすヒトと、街で暮らすヒトと、ふれあう度になにかしら感覚的な違いを感じた。うまく言えないが笑顔の質?なのかもしれない。
島には珍しく滝があり、子どもたちと天然のシャワーを浴びる八幡暁さん
大人も子どもも、辺境の地に暮らす人びとの笑顔は、明らかに私を幸せな気持ちにしてくれた。仕事やさまざまな煩わしさに追われ、笑顔を忘れがちだった私に、今回の旅は心の底から笑顔になれる機会を与えてくれた。
なんだか少し幸せになれたような気がした。そして人に対して優しく接することができそうな、そんな気持ちにさせてくれた。
山岡先生と、一緒に行った仲間たち、お世話になった現地の人びとに心から感謝したい。
(センター長・神田優)
投稿:
ちー
/2011年 06月 13日 11時 25分