2011年11月19日(土) 高知新聞朝刊 四国一周!海遍路
夜明けの海に漕ぎ出す海遍路メンバー(黒潮町佐賀の海岸)
四国一周!海遍路
10月16日、午前9時、多くのギャラリーが見送られ、宿毛市の咸陽島を臨む大島の海岸から、色とりどりの8隻のシーカヤックが漕ぎ出した。少々大げさであるが、宿毛市は「海遍路発祥の地」として歴史にその名前を刻むことになった。
「繋がる実感プロジェクトー四国一周!海遍路」は高知大学の山岡耕作教授を代表に、世界的シーカヤッカーの八幡暁さん、元県水産振興課長の篠原英一郎さん、そして私の4人がコアメンバーとなり、数人がサポートする。
つながりの実感を
戦後の日本では、発展のために何よりも「経済効率」が優先され、自然と自然、自然と人、人と人のつながりが至る所で分断されてしまった。経済効率至上主義が、現在の環境問題や社会問題の原点にあると私たちは考えている。
だがまだ都市部と違い、四国の沿岸各地には「つながり」が残っているのではないか。われわれはそんなつながりを調べようと「四国一周!海遍路」を開始した。
海遍路とは、シーカヤックでゆっくりと沿岸を移動し、海岸の自然や海に生きる人々と出会い、それぞれのつながり、海からの恵みやリスクを実感し、海から陸を見つめ直そうという試みだ。
シーカヤックにエンジンはない。動力は自分の腕でパドルを漕ぐだけだ。今回は一人艇と二人艇の他、ゲスト(研究者や写真家、コピーライターなど)にも乗ってもらうために3人艇を購入、遍路にちなんで「空海」と名付けた。
宿毛から東洋町まで
通常海岸から数十mから数百m沖合までを毎日20〜30kmほど漕ぐ。途中、陸からは道がなくて行けない秘密?の浜に上陸したり、水深が浅くて狭く、船では行けない洞窟を探索したり、波しぶきが上がり少々危険な磯まわりや、さらには海側から波を待つサーファーを見たりと、シーカヤックならではの楽しみも満喫した。
波待ちしているサーファーを海から眺めながらシーカヤックを漕ぐ(東洋町生見海岸)
暫くぶりに漕ぐと腕が疲れたり、腰が痛くなったりもするが2〜3日も漕いでいると自然と身体が馴染んでくる。
今回の旅は10月16日に高知県の西端、宿毛市大島を出発。柏島、西泊、土佐清水、窪津、下田、佐賀、上ノ加江、池ノ浦、宇佐、種崎、手結、安芸、奈半利、室戸岬、三津と漕ぎ、東の端、東洋町甲浦に11月4日に到着した。
海遍路のルート
ひっくりかえらんのか?
漁村では漁師さんから「あんなもんでこの海を漕いできたんか?ひっくりかえらんのか?」と質問されたり、「わしゃいくらやる言うてもこんな船怖うていらん」と笑われたり。その反応が楽しかった。
伴走船は無し。宿泊はテント。ほとんど自炊だ。いくつかの漁港では懇親会も用意していただき、美味しい海の幸と酒で楽しく交流させてもらった。
海の幸といえば、窪津、池ノ浦でのイセエビやハガツオ、佐賀、上ノ加江でのカツオのたたきやサバやタイの入ったわかし汁、浦戸湾のニロギの汁や御畳瀬の干物、安芸でのドロメや釜揚げチリメン丼、室戸、甲浦でのキンメなど。
メジカ漁をしていた漁師さんにメジカをもらう(四万十町志和沖)
磯、浜、内湾、沖合と多様の漁場環境の元、多様な漁業形態があり、それに基づいた地元料理の数々、地域性を反映した「ダシ」の文化の多様性。あらためて706kmに及ぶ長い海岸線を持つ高知の海の食の多様性を実感した。
一方で漁価低迷、漁獲量の減少、燃油の高騰など深刻な問題も多く聞かれた。ほとんどの漁村で後継者がおらず、あと10〜20年もしたら漁師はいなくなるとの声も。このままでは高知や日本の魚が食べられなくなってしまうという危機感を覚えた。
真の豊かさとは
東洋町甲浦にゴールした海遍路メンバー
今年5月、フィリピンで黒潮源流域の漁村調査をした。街から遠い小さな島の漁民の月収は1000ペソ(2000円程)。電気や水道、ガスはない。しかし大半の人は幸せだと胸を張る。一方街が近い漁村では電気などが整備され所得も高いが、幸せだといえる人は多くはなかった。
お金はあり、モノもある。でも幸せ度は下がっているというこの現状は何を示しているのか?日本もまさにそうではないか。
現在、何不自由ない暮らしにはもちろん感謝している。しかしこの先いつまでもモノがある暮らしを求めていった先には、どんな犠牲が払われるのか。
持続的な暮らしを目指すライフスタイルへの転換が求められている今、海遍路の旅では、人と人、人と自然、自然と自然のつながりを求め、その先にある真の豊かさとはなにかという答えを発見したいと思っている。
来年10月には徳島、香川、再来年は愛媛を回る予定だ。
(海遍路のURLはhttp://umihenro.jp/)
(センター長・神田 優)
投稿:
きのこ
/2011年 11月 21日 10時 38分